重富環境保全倶楽部とは
一般社団法人重富環境保全倶楽部は、白銀坂を中心とした重富脇元地区の山を本来の環境に適応した自然林として再生することを目的として平成28年11月29日に設立されました。
重富脇元地区は島津家に所縁がある由緒ある地で、白銀坂を始めとした鹿児島の歴史を感じられる貴重な遺産が数多く存在しています。重富の森は、長い年月の中で姿を変えていく重富の地を今日まで見守り続けてきました。
重富環境保全倶楽部は、重富地区の山林の状況を把握し、社団活動のための山林の確保や確保した山林での外来植物の伐採、山桜の植樹など、重富の豊かな森を蘇生させるべく活動しております。
地球温暖化やオゾン層の破壊と言った環境問題が重視されるなか、自然界における外来植物の侵入も大きな課題です。県内でも、CSRの一環として企業と県との間で「環境を育む企業の森林づくり」に関する協定の締結が奨励されるなど、森林保全への意識は高まっています。豊かな森を未来へ繋ぐため、重富環境保全俱楽部は令和元年度には孟宗竹の伐採作業を行うなど現在も活動を進めています。
失われた本来の自然
ー侵略された自然林
かつては美しい自然林に溢れていた重富の森ですが、現在は外来種の侵入により本来の姿が喪失されています。整備された山頂一体は明媚な姿を保っていますが、麓から中腹にかけては外来種である孟宗竹が広範囲に繁殖し、放置された竹林で荒廃しています。孟宗竹以外にもハヤトウリやトウチクといった外来植物の侵入が確認されており、このままでは外来種の猛威によって多くの自然林が失われる可能性があります。
また、重富の森に繁殖している孟宗竹などの竹林は、近年の土砂崩れ・流木被害の原因にもつながります。外来種によって失われた自然林は、その周辺に住まう人々を災害から守っていたのです。
ー外来種問題
そもそも外来種とは、もともとその地域に生息しておらず、人間の活動によって他の地域から入ってきた生物のことを指します。
外来種問題は根深く、県内でも多くの動植物外来種が確認されています。大きく取り上げられるのはマングースやブラックバスなどの動物問題ですが、植物の外来種も様々な問題を引き起こします。代表的な問題が生態系への影響です。放置された外来種の繁殖は、景観の悪化を招くだけでなく、本来そこに生息していた在来種や固有種の生育をも阻み、美しい原生林の姿を失わせてしまうのです。
その他にも外来種の中には、人間の生命や身体に影響を及ぼすものや農林水産業に被害をもたらすものもいます。全国各地で発生する外来種問題を解決に導くためにも、「入れない」「捨てない」「拡げない」の外来種予防三原則を遵守することは必要不可欠です。
歴史ある美しい重富の姿
ー重富本来の自然
姶良市の重富地区は、正面には雄大な桜島や錦江湾が望めます。平成24年には、重富海岸に隣接する干潟が「霧島錦江湾国立公園」に指定されるなど、素晴らしい自然環境に恵まれた誉ある地域です。
重富海岸から広がる美しい海は、重富の森の豊かさに守られています。元来重富の森は、多様な生物が生息する恵み豊かな場所です。植物と動物の共存は森を更に豊かにし、豊かな森の木々から生まれる栄養素は川から海へと流れ、海の生物たちのエネルギーとなります。森が海を育てるという言葉通り、重富の森は遠浅の美しい重富海岸を守り育ててきました。
ー交通の拠点であった重富
重富の地は、かつては港や駅周辺の土地として交通の要所でもありました。戦国時代、城下へ向かう街道として利用された白銀坂や、船の往来する港として交通・交易の中心地であった脇元浦が所在し、明治中期には県内最古の駅の一つである重富駅も設立されました。旧くから交通の要として繁栄した重富には、鹿児島の歴史が数多く刻まれています。
【白銀坂】
江戸時代、薩摩藩は外城制度と呼ばれる独自の文化を確立させ、各地に麓と呼ばれる武家集落を築きました。麓から城下を目指す武士たちは主要街道であった「白銀坂」を通って登城していたと考えられます。当時の白銀坂は大隅国と薩摩国の国境であり、戦国時代には武将たちがこの坂に陣を構えたと言われています。難所である白銀坂を避けるため、坂を下った麓にある脇元浦の港から船を使って登城したという逸話もあります。
【脇元浦】
江戸当時の脇元浦は、交通や交易を中心とした大小様々な船が船舶する港でした。白銀坂の入口でもあり、大隅半島から渡湾する人々を出迎えていた脇元浦は薩摩藩の交通拠点として栄えていました。また、脇元浦から見える重富沖は、薩英戦争始まりの舞台でもあります。薩英戦争とは、生麦事件を発端とした薩摩藩とイギリス艦隊による戦のことです。生麦事件の賠償交渉のため重富に訪れたイギリス艦隊は、脇元浦に回船していた汽船を取り囲み、船長として指揮を取っていた五代友厚と寺島宗則を連行します。この行為をイギリスからの攻撃とした薩摩藩が砲撃を開始し、脇元浦から望む海は戦火の飛び交う戦場となりました。脇元浦は、鹿児島湾奥の交通交易場として人々の生活を支えていただけでなく、薩摩を襲うイギリス艦隊を迎撃した最初の砦でもあったのです。
【重富駅】
日本で初めて鉄道が正式開業されたのは、明治5年の新橋駅―横浜駅間でした。九州においては明治22年に博多駅 - 千歳川仮停車場間で初めて鉄道が開通されました。明治28年には日豊本線の始まりである小倉―行事駅間での運行が開業し、その後各地で九州を縦断する形で路線が形成され、昭和7年に小倉―鹿児島駅間開通によって、日豊本線は37年間かけて全線が開通しました。鹿児島県でも、明治34年に鹿児島駅―国分駅(現・隼人駅)間で初めて鉄道が開通されました。重富には最初に開業された四駅(鹿児島駅・重富駅・加治木駅・国分駅)の一つである重富駅が設けられたため、鉄道を利用する人々が宮之城や蒲生といった遠方からも訪れ、周辺地域を乗合馬車で結ぶ近距離交通の拠点としてその後も重富の町は栄えました。現在もJR利用者の乗降場として利用されている重富駅は、県内で最も古い駅の一つとして重富の地を見守っています。
次世代へつなぐネイチャーバトン
地球規模で環境問題が取り沙汰される今、太古より人間の生活を支え、また先人たちが守ってきた日本本来の自然環境を取り戻すことこそが、我々が次の世代に引き継ぐことのできるバトンです。
近年では、鹿児島市内の城山公園でも自然林の再生事業が行われ、外来種の伐採によって希少種を守る「城山公園自然の森再生事業」が進められています。地域の人々の力で豊かな自然を守ることは、景観の美しさを保つだけでなく、土砂災害の防止といった周辺住民の安全を確保することにも繋がります。
また、豊かな森を育むことは、世界中で目標とされているカーボンニュートラルの実現にも結び付きます。森の木々は環境問題の原因となる二酸化炭素を吸収し、脱炭素化を望む社会へ適った働きを担います。更に、植林や間伐を適切に行うことで、二酸化炭素の吸収効果を高めることも可能です。カーボンニュートラルを達成するためにも、森の豊かさを守ることは重要な課題となっています。
“美しい自然林を取り戻し、豊かな森を未来へ残したい”
この思いを実現するため、今後も重富の自然森林再生活動に取り組んでいきます。
このような活動の輪が少しずつでも広がり、先駆的な活動になっていくことを願います。
SDGsとの関わり
重富地区には「重富の森」と呼ばれる自然森林があります。
島津藩時代の文化・交通の要所でもあった重富には、「重富の森」を始めとして、今もなお未来につないでいかなければならない自然遺産が数多く存在します。老齢・過疎化によって管理が疎かになった自然森林を外来種から守り、本来の自然環境に適合する雑木を植え、その山本来の姿を取り戻すことが重要です。
また、重富の海や干潟は適切に管理された山によって成り立っています。海や山の豊かさを維持し、持続可能な社会の実現に向けて当法人は活動しております。
- 包括的で安全かつ強靭で持続可能な都市及び人間居住を実現する
- 11.4
山林の整備に努め、自然環境の保全に取り組みます。 - 11.a
自然林を再生し、保全活動を行い、次の世代に活動のバトンをつなげるよう、取り組みます。
- 海洋と海洋資源を持続可能な開発に向けて保全し、海洋汚染を防止する
- 14.1
重富の森を自然森林として再生することで、土砂崩れ・流木被害等の災害を防ぎ、豊かな海を守ります。
- 森林の持続可能な管理、土地劣化の阻止及び逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図る
- 15.2
外来種の伐採により、在来種を保護し、原生林の生育の促進・再生を目指します。 - 15.4
自然森林を再生させることで、本来の生物多様性の維持に努めます。